舛添都知事問題で思うこと!

  ここ数日、テレビ、新聞等のメディアで舛添都知事の政治資金等の使い方をめぐる話題がとり上げられて
います。
当初は、神奈川県湯河原町の氏個人所有の別荘へ通っていたときの公用車の使用が問題視されていましたがそ
の後、数々の政治資金の使途における「公私混同」疑惑が指摘され問題となっています。
これまでにも、国会議員、県議会議員、市議会議員等による同様な問題が多く発生しています。
町議会とはいえ同じ議員である私としましては、自分自身を強く戒める機会として生かしたいと思っています。
 今もテレビで都議会における代表質問の模様を放映しています。
知事が選任した元検事の弁護士による政治資金調査報告書の結果が報告され、「違法性はない」という結論づ
けでした。
知事の対応もこの「違法性がない」という結論に終始したものです。
果たして、「違法性がない」ことをもって、今回の問題は許されるのでしょうか。

 すでに皆さまも感じていることと思いますが、今回の問題における舛添知事に対する評価は、「違法性はな
い」という法的な面だけではなく、「道義的な」面からなされるものです。
 現在の知事や議員にかかわる制度においては、この「道義的な」面で問題があると判定されたとしても、こ
のことをもって即辞任させられるものではありません。
あくまでも本人が自主的に辞職することによるほか辞めさせることはできません、
数年先の選挙において都民の判定を受けることにはなりますが、その選挙で再選されれば、「道義的な」面で
の欠格要件が免責されることになります。
当人とすれば、選挙の洗礼を通りさえすれば何とかなるというおもいがあるでしょう。
その選挙で当選することに意識が終始することになり、このことがまた、問題を抱えた議員等を生き返らせる
負の仕組みとなっているようです。

 ここのところ学生時代に学んだことをよく想い出し、改めて政治に関わる人間の心構えについて振り返って
います。
学部学科が政治経済学部政治学科であったこともあり、政治について学問として学ばせていただきました。
政治を純粋な学問として勉強させていただいたのですが、そのときの思いとしては、政治とは「なんと崇高な
領域の人間活動」であるのかと感じました。
有史以後の人間の歴史は政治の歴史と言えるかとおもいます。
その歴史を辿れば、人々の生活を豊かにし幸福な世をもたらした根本は、その時代に施政された政治にあるこ
とに思い至ります。
また、その逆も然りです。
 政治は”全人格的に完成された人間によってこそよく運営されるべきである”という考えは、古代ギリシャの
政治哲学者の基本的な思想であったことを、学んだ記憶を思い出します。
政治学を学ぶ中では、「政治哲学」、「政治倫理学」、「政治行動学」、「政治思想史」、「行政学」など多
面的な分野における学研を受けました。

 これまでに生じた首長、議員にかかわる問題は、政治に携わる人間として「政治哲学」、「政治倫理学」を
学ぶ機会がなかったことに起因しているのか、と想わざるを得ません。
学問的に学べばよいということだけではないでしょうが、「道義的な」感性を磨くためには「政治哲学」、
「政治倫理学」を、少なくとも学ぶ必要があるのではないでしょうか。
選挙に当選すればよいだけではありません。

 これらの学習の中で学んだ、これまでの自分の人生の戒めとしてきたことを、再確認する意味で挙げさせて
いただきます。
1.政治倫理について
  中国の後漢時代に生き、最上位の官僚にまで登りつめた人物である「楊震(ようしん」の残した故事。
 「天知る、地知る、我知る、人知る」という言葉です。
  この言葉は、楊震の引き立てで役人になることができた王密(おうみつ)がそのお礼に十金を贈ろうとし
 たときに彼が発したものと言われています。
  当時の中国では公職の売買が公然と行われ、それによって個人の利得を得ることが官僚の世界ではなかば
 常識的な時代でした(公職で利得を得る=収賄)。
2.公私混同について
  高校時代の友人の父親が語ってくれた話しです。
 友人の父親は当時、海外貿易船として活躍していた「さくら丸」で米国等との貿易取引を行うバイヤーとい
 う職業に就いていました。
 ある米国人との取引交渉時にその取引相手が発した発言だそうです。
 父親がもう少し、確か数円の値引きを求めたときに「1円であってもこの品物は会社の所有物であるので
 勝手に自分で安くすることはできない。自分個人のものであれば要求に応じるが。」という返事であった
 とのこと。
 これに対し、当時の日本人バイヤーは「会社の所有物であって自分のものでないので容易に値引きに応じ
 ていた」ということです。
 当時の日本人と米国人の文化の違いとしても、「さすがに米国人は公私の分別が付いており、我々日本人は
 残念ながらその意識において安易であり、恥ずかしい」と、心から慚愧の念を述べていました。

  あと3年、議員としての任期が残っています。
 町民の皆様に対し議員として説明責任が果たせる活動となるよう、引き続き心して議員活動に邁進すること
 をお誓いします。
 引き続いてのご指導とご支援のほど、よろしくお願いいたします。